阪神尼崎駅のホームから見える尼崎城。そしてシェアハウスENN HYOGOのリビングからも見える尼崎城。そんなENN HYOGOのお隣さんの尼崎城について今回は紹介します!
- 尼崎城はなぜつくられたのか
- 五万石の大名としては大きすぎる!?
- 尼崎城下町はリッチだった
- 尼崎城は平和のシンボル!?
- 新しい尼崎城
尼崎城はなぜつくられたのか
大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川氏は大坂を幕府の管轄地として、大坂城を西日本の政治的、軍事的拠点に置きました。しかし九州、中国、四国などの地域はまだまだ徳川家と敵対していた武将が多くいました。そこで、大坂に近く、古くからの交通の便がいい尼崎を大坂城を守るお城ととして尼崎城が作り上げられた。当時の城主は戸田氏鉄は尼崎城のすばらしい出来映えから城づくりの名手として名を残しました。1618年に築城、250年以上にわたって役割を果たしたが1873年の廃城令で取り壊された。
ちなみに現在の尼崎城は家電量販店の旧ミドリ電化(現・エディオン)創業者、安保詮(あぼ・あきら)氏が私費約10億円を投じて再建し尼崎市に寄付されたものです。
五万石の大名としては大きすぎる!?
四層の天守閣、そして3重のお堀をがあり、当時は甲子園球場の約3.5倍の規模でした。高さは8~9階のマンションに相当したそうです。実は兵庫県下で天守閣があるのは姫路城と尼崎城の2つだけ。天守台(石垣)は作られてもそれより上の建物をつくることを当時幕府は許可していなかったようです。
尼崎城下町はリッチだった
東西両側に広がる城下町は現在の阪神出屋敷駅から、大物駅にかけて広大であった。尼崎藩成立当初は、現在の尼崎市から神戸の須磨までの海沿いが尼崎藩領だった。酒蔵も多く、海沿いには漁師が済み、大正時代までは魚市場も存在していた。綿などの産地でもあり、かなり裕福な藩であったとのこと。
尼崎城は平和のシンボル!?
戦のためのお城なのに、実は一度も戦には使われていないんです。現在のお城ももちろん戦には使われませんので、尼崎城は人を傷つけないお城のようです。
新しい尼崎城
新しく生まれ変わった尼崎城ですが、現在城内に入ることができます。展望ゾーンや、歴史が学べるエリア、尼崎城主や武士、お姫様になれる体験もできます。無料で入れるエリアもあったりと充実しております。個人的におすすめなのが、お城の周りの芝生が広がる公園がとってもゆったりとした時間が流れていて気持ちいいですよ〜。
週末は子供連れのファミリーや、犬の散歩をしている方がいたり、都会に公園があるのはやっぱり嬉しい!
シェアハウスENN HYOGOの友達とここで昼からビールでもいきたいなぁ〜とか。
しっかり整備されていてクオリティーがすごい!元ミドリ電化の会長、とっても素敵な場所をありがとう!
参考:あまがさき観光局
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